パリ五輪の体操女子では日本のエースとして期待されている宮田笙子さん。
今回は宮田さんの体操の経歴をwiki風なプロフィールや学歴と合わせて見ていきたいと思います。
幼少期からの逸材ですが、中学時代に体操のために親元を離れて転校するという決断がスゴイです。
ぜひご覧ください。
宮田笙子のwiki風プロフィール
・生年月日 : 2004年9月21日
・出身地 : 京都府
・愛称 : しょうこ、しょこみ
・身長 : 151cm
・勝負飯 : 鶏肉
・ゲン担ぎやルーティーン : お寺や神社に行く
・趣味 : 温泉
・自分の演技で見てほしいところ : 演技のダイナミックさ、表現力
勝負飯の鶏肉という点にアスリートらしいこだわりが伺えますね。さすがです!
ゲン担ぎやルーティーンでお寺や神社に行くと答えていますが、
ご実家が伏見稲荷大社に近いということで、帰省されると度々訪れているようです。
宮田笙子の出身小学校
京都市立伏見板橋小学校
宮田笙子さんは4歳のときに2人のお兄さんの影響で体操クラブに通い始めました。
練習を見学しながら、ブリッジをしたり、バランスを取るポーズをしたり。
母に「私もできるよ、見て見て!」と猛アピール。
スポーツ報知
体操クラブ以外にもご実家の中でも練習を十分にこなせていたようです。
宮田家の和室には、いろんな体操器具がそろっていた。約6メートルほどのマット、小さな鉄棒、近所の工務店に依頼した円馬まで。宮田は兄2人と、お風呂上がりに必ず体操の演技を披露し合った。「娘はマットがすごい気に入っていた」と母。回っては「見て見て!」と、とにかく自分の演技を見てもらうことが好きだった。 幼い頃から、ミュージカルや舞台が好きな母の影響で、サーカスを見に行くことも多かった。小学校のときは「シルク・ド・ソレイユに入りたい」と夢を語ったことも。宮田は知らぬ間に、体操競技に導かれていた。
スポーツ報知
自宅に6mのマットや鉄棒。いろんな体操器具が揃っている家ってのがスゴイですね。
こんな環境で育てば相当に能力を磨けますね。
宮田笙子の出身中学校
亀岡市立亀岡中学校
国際大会デビュー
中学生になった宮田笙子さんはディナモ北近畿体操クラブに所属し、ジュニアの大会で国際的な活躍を見せます。
2018年、カナダ国際(モントリオール)で国際大会にデビューし、個人総合10位という成績を残しました。
同年のアジアジュニア体操競技選手権大会では団体戦で中国に次ぐ2位。跳馬で銅メダルを獲得しています。
2019年、第1回世界ジュニア体操競技選手権大会にも日本代表に選ばれ、
団体戦で11位、個人総合で23位という成績を残しました。
鯖江体操スクールへの転籍
2019年の秋、福井県での強化合宿で福井県体操協会会長などを務めた故小竹英雄さんに才能を見いだされ、
福井県鯖江市の鯖江体操スクールへ転籍を勧められます。
鯖江体操スクールには田野辺監督というアテネ五輪金メダリストの冨田洋之さんらを育てる等、
指導実績の豊富なコーチの指導を受けられます。
中学3年の秋でしたが、親元を離れ下宿生活が始まりました、
転校先は鯖江市立中央中学校です。
田野辺監督はこの当時の宮田笙子選手の印象をこのように語っています。
「パワーはあるが荒削り。課題がたくさんある選手」との印象だったという。
その言葉通り、すぐに結果は出なかった。「気持ちにムラがあり、練習にまじめに向き合っていなかった」と田野辺コーチ。同時に「その分大きな伸びしろがある」と確信した。
福井新聞
この時の名監督との出会いがその後の宮田笙子選手の体操人生を大きく変えます。
宮田笙子の出身高校
福井県立鯖江高等学校(偏差値:53)
田野辺監督が教員を務める高校に進学します。
精神面や生活面を指導。練習への向き合い方、コンディションの調整など「トップ選手になるために足りないところを徹底的に伝えた」
「なんやねんってむかつく時もある」。そう言いながらも「思ったことを言ってくれる(性格が)まっすぐな先生」
「鯖江に来て一番感謝している先生。」
日々の努力が名監督との信頼関係を築いていったようです。
高校3年間の主な成績
同じ大会では確実に順位を上げ、3年生時にはNHK杯の個人総合で優勝します。
NHK杯後は世界選手権の代表に選ばれ、鯖江高校に在籍している間に
「田野辺先生を世界選手権に連れていく」という願いを叶えます。
現在は順天堂大学に在学中
順天堂大学スポーツ健康科学学部(偏差値45)
1年生時から大活躍
2023年、国際大会などで多数のメダリストを輩出している順天堂大学に進学しました。
体操競技部は東京五輪や2022年の世界体操で金メダルを獲得した橋本大輝選手が所属しています。
近年は女子の体操にも力を入れており、2022年は全日本学生選手権大会の女子団体で3位となり、
初の表彰台を獲得しています。
宮田笙子選手は1年生でしたが、全日本選手権の個人総合で銀メダル。
NHK杯は個人総合優勝で2連覇を達成します。
この年の10月、宮田笙子さんはベルギーでの世界選手権に出場しました。
怪我の影響もあったのか、残念ながら団体・個人ともにメダルには届きませんでしたが、
このとき日本では中学時代に宮田笙子さんの体操人生を変えた小竹英雄さんが亡くなりました。
いつ撮影したものかは分かりませんが、小竹氏との2ショット写真です。
演技を終えた直後に訃報を知らされた宮田笙子さんは涙が止まりませんでした。
帰国後葬儀に参列されたようです。
パリ五輪日本代表へ
2024年5月、2年生になった宮田笙子選手はNHK杯の直前に左太腿負傷というアクシデントがありました。
予選ではゆかで着地ミスがありながらも、決勝ではけがの影響を感じさせない安定した演技で3連覇を成し遂げます。
そしてパリ五輪の代表選手に内定しました。
まとめ
今回は宮田笙子選手の学歴を見ながら体操の経歴を見ていきました。
幼少期からの逸材でしたが、中学で福井県鯖江市に転校したことが、
その後の体操人生を高めていき、念願のパリ五輪に繋がりました。
期待したいです。応援しています。
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